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  • 暴雨之后

    2009-08-01 | 青語

    下午天色極陰郁,空氣沉悶難當。五點多開始響雷,其后暴雨傾盆。有幾個雷特別巨大,嚇得人和貓一起逃跑。

    七點多的時候雨停了。

    掙扎一番下樓送垃圾。

    樓下一片汪洋澤國。不知小區里誰家居然養了兩只白鴨子,正在水潭里游來游去。

    流水往低處去,窨井之中汩汩有聲,槐花落了太多,隨著雨水蜿蜒而去。

    在報亭買了一本三聯,過街去kfc,買了一對烤翅。

    傍窗坐下來吃,身后有一對情侶,女方正言辭激昂地討伐男方是多么的不懂得疼人,多么沒有上進心。

    吃完烤翅,滿足地離開,三聯翻完一半。

    在小超市買了一瓶飲料。

    超市男主人在店門口煮方便面。那面條真香。男主人打著赤膊,低頭端著鍋吃面。我看了一眼,好大一鍋,肯定放了兩包!

    這樣就回來了。

  • 権力に挑んだ者の苦悩(山崎豐子『運命の人』)

    雑誌連載時から読んでいながら、全四巻が完結して、ようやく渇きは癒やされた。主題は周知の事実、沖縄返還の密約をめぐる外務省機密漏洩(ろうえい)事件である。スクープした密約を野党議員に漏洩した新聞記者の情報源は、不倫関係にあった外務省女性事務官だった。このスキャンダル劇は、舞台を法廷の場に移して、二転三転する。

     私たちはその結末をよく知っている。それにもかかわらず、手に汗握りながら、何度も読まずにはいられない。なぜだろうか。

     本書の魅力の半分は、国家権力対新聞メディアの攻防戦、あるいは「第四の権力」としての新聞メディアの再現にあるのだろう。

     しかし、これだけならば、当事者の著作やドキュメンタリーの臨場感のほうが勝っている。惹(ひ)きつけられるのは、ほかに理由があるはずだ。

     私たちを捕らえて離さないのは、状況に板挟みとなって苦悩する主人公である。権力に対する「知る権利」か、情報提供者のプライバシーか。密約の暴露は、国益のためになるのか否か。「正義」の実現をめざす過程でのわずかな心の隙(すき)や判断の迷いが、のっぴきならない事態を引き起こす。読者はそんな主人公に感情移入する。主人公は窮地から脱出することができるのか。

     著者は希望を残す形で本書を終えている。しかしこれは真の希望といえるだろうか。

     疑問を抱くようになったのは、読み進めていくうちに、もう一つの主題が浮かび上がってきたからである。それは要するに戦後日本の国家的な自立の問題だった。

     沖縄の犠牲の上に、アメリカに「従属」しながら自立する戦後日本の歪(ゆが)みは、主人公の立ち向かう姿勢によって正すことができるだろうか。評価は分かれるかもしれない。

     そうだとすれば、著者には未完の物語、戦後日本のナショナリズムの物語を書いてもらいたいと思う。

     ◇やまさき・とよこ=大阪市生まれ。毎日新聞勤務を経て、作家に。著書に『白い巨塔』『華麗なる一族』。

    文芸春秋 各1524円

    評・井上寿一(日本近現代史家)

    (2009年7月6日  読売新聞)

  • 無題

    2009-07-26 | 青語

    媽媽飯后喜歡散步,我懶,窩在屋子里不出門。

    明天要去拜會一家長輩,累啊累啊累啊累。

    要倒一趟車,這大夏天的。

    相公正在北海玩……我也想旅游!

  • 無題

    2009-07-25 | 青語

    媽媽在這邊,日日都能吃到很合適的飯菜。

    問:你在這里每天吃什么?

    答:煮一鍋飯,一鍋菜,吃三頓,過一天。

    媽媽很憐憫:你這樣的日子,不如回家。

    答:可是想待在這里。

    夜里出門散步,有很多人在空地上納涼。

    媽媽道:這里人也過得很樸素。倒不如在南通。

    答:可我還是不想回家。

    說這話的時候,心里想的倒不為風月,居然是為許多虛無茫遠的事。我為何走到了這一步,為何執意要留在這里?眼前的人未必多么可以依靠,我依靠的終究是自己。

    不知道這樣走出去很遠,會不會有想回家的一天。

  • 胡言

    2009-07-16 | 青語

    写给孩子看的小说并不那麽容易——因此我认为一些畅销书的意义并不十分大。青春小说其实是难写的,一个大人写青春小说,要贴近孩子的生活、心灵,又要不造做,不颓废,不猥琐,不荒诞,不拔高,那真不是一件轻便的事。

    所以我赞美黑柳彻子、杰罗姆·大卫·塞林格……

    我想起高中的时候,看杜若的《青梅》,几度泫然。至今翻出来看,都觉得很好。

    看《今古武侠》,追的只是椴公子。《杯雪》的江湖啊。

    躲在教室里看陆同学借来的《射雕英雄传》《神雕侠侣》等书,看得如痴如醉,这分明,也可作少年书。为什么那时候老师家长不许看呢。

    看曹文轩的《细米》,到如今也觉得有动人处。但他的《天瓢》,我兴趣却不大。

    那时候读安妮宝贝的人简直太多了,如今却到了一个集体反安妮的时代。其他不少作家也可印证这一现象。

    所以写作者的真诚、善意、责任,似乎也是很重要的事情罢。